この記事は Kosen Advent Calendar 2015 - Adventar の 13 日目の記事です。昨日のカレンダーは空白だったようですが、前回の記事は Kosuke Ohmura さんの『高専をだらだら堕落しながら6年かけて卒業した話』でした。
ボン・ソワール みなさま、@tmd45 です。今日は 4, 5年前に数回ドラ娘を勤めただけ*1で、いまは「娘」ですらなくなったアラサー独女の私が思う「ドラ娘」について書き散らしたいと思います。いつか LT か何かで話そうと思って数年経ってしまったのでこの辺で消費しておこうかという感じです*2。
銅鑼は権力
イベントが始まる前に事前に依頼される場合もあるだろう、会場でボァー…っと発表と聞いてたら突然スカウトされることもあるだろう。やりたいと思ってたんだ!と意気込んで銅鑼を握ることもあれば、なんで自分は発表もしないのに壇上に上がらされてるんだ…と思うこともあるだろう。
LT で一番重要なルールは、とにかくどんなにイイ話でも、どんなに本人がまだ話したくても、制限時間がきたらその発表を中止しなければならないという部分である。昨今は少し余裕を持って終えたり、時間ピッタリで綺麗に終わる発表がやたら増えてきているような気がする。それはそれで素晴らしいかもしれないが、「なんか最後までよくわからんかったがガンバったな…っ」とか「言いたいことが/聞きたいことがいっぱいあるのに無情の銅鑼…!」という空気が LT の醍醐味だと、私は思う。
その無情の銅鑼を鳴らすのは他ならぬドラ娘である。
発表者はどんな権力や身分を持っていようと、銅鑼が鳴ったら発表を切り上げなければならない。たとえそれが先輩であろうと、校長であろうと、著名な講演者であろうと、LTの銅鑼の音の前で彼らは等しく平等であり、(タイマーと)銅鑼の音が権力を持つのだ。
発表者の息の根を止める
気の抜けた銅鑼の音では、発表者や聴衆の "情熱" は止められない。そんな屁のような銅鑼より、この発表をやりきりたい!面白い話を聞きたい!…そんな彼らの思いが勝ってしまう。
しかし LT はテンポが重要である。それはイベントのタイムスケジュールにも影響するし、次に次にと控えている発表者たちのリズムを崩し、結果的になぁなぁな雰囲気の原因となってしまう。
ドラ娘は、発表を中断するために発表者の息の根を止める、次の発表に向けるために聴衆の息の根を止める、この一打で仕留める…!そんな気持ちで銅鑼を叩くのだ。
ドラ娘は楽しい
権力と殺意を秘めつつ、LT はやはりその発表を楽しむ場だ。ドラ娘として壇上に上げられて緊張するだろうが、タイマーを見るのに気を取られすぎて全く発表を聞いていなかった…ということではやはり勿体無い。
タイマーを忘れて本末転倒になるのはまずいが、発表自体を楽しむことはドラ娘にも許されることだ。ラスト30秒くらいから少し気を張り、10秒前になったら静かに構えに入り、時間になったら殺意を込めて打ち鳴らせばよい。
また、壇上は発表者の(だいたいは)一番近くで発表を聞ける特等席である。発表を存分に楽しんで聞こう。
おわりに
以上が、ドラ娘を経験し、他のドラ娘たちを見てきた私の「ドラ娘論」である。今後、銅鑼を握る諸君に何か伝わるものがあれば嬉しい。
…なんてね〜〜ウィルキンソンのジンジャーエールウォッカとさけるチーズうめぇ〜〜〜。うへへぇ。
というわけで明日は myu_mx さんが就職して感じたことというテーマで書いてくれるそうです。
*1:参考記事:「ドラ娘」て知ってる? | 非モテタイムズ http://himo2.jp/4338000 まだこの記事残ってる(^q^) 山本ユウカ先生その節は記事ありがとうございましたフヒヒ
*2:一部界隈で「ドラ娘」の存在がハラスメント問題として取り沙汰されているようですが、本記事では「LT(ライトニングトーク)の制限時間が来たら大きな音を出してトークを終了させる係のひと」という意味で伝わりやすい名詞として「ドラ娘」と表記しているとご認識ください。「ドラ娘」という存在が気に入らない場合はそっとブラウザを閉じるか、適宜お好きな表現に脳内変換してお読みください。っていうかアドベントカレンダーにそんなヘビーな世論持ちだされても困るでござるよニンニン。